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三度目の正直

 シレジアは、いよいよ夏に向かってゆく。
 その夏の入り口に生まれた子供たちが、まさかこんなにかわいいものだとは思わなかった。つい一年ほど前のレックスは、セリスが生まれたことさえ
「へぇ」
の一言で片付けたというのに。

 万事イザーク風に、と整えられたアイラの部屋には、時折、医者がやってきて、アイラの診察をしてゆく。
 なにぶん、初産で双子という大仕事だ、しばらくアイラは起き上がることすらできなかった。
 診察を受けているところを、もちろんレックスは見たことがない。彼女の話からすると、医者もイザークの生まれで、自分たちの受けている医療とは概念からして違う医療を施してくれるということだ。
 そういえば、春先、うっかりカゼを引いたとき、アイラからの指示で診察したその医師は、手首を触ったり、舌を出させたりして、それから薬の処方をしたな、と、今日の診察がイザークの母語で交わされているのを見えないところで聞きながら思い出してみる。あの薬は確かに良くきいたが、あの味はできれば勘弁だ。
「しかし、今日の診察は長いな」
とレックスがぼそ、と呟いた。相手をしているメイドは何話しているんだ? というレックスの問いには、少し笑んだだけで何も答えなかった。
 アイラの部屋のメイドの年齢層は実に厚い。百も心得た貫禄あるメイドもいれば、メイドといってもシャナンより幼く、仕事といえば、こうして部屋に来るレックスの他愛ない話し相手しかできないような、小さな女の子もいる。
「お珍しいですね、こんな時間に旦那様がお見えなのは」
と、その女の子がいって、ほかのメイドが
「こら、そんなことを申し上げるものではありません」
とたしなめられていた。
「いや、医者が来るっていうからさ…ちょっと、聞きたい話があって」
「然様でしたか、それでは、そのように申し上げてきますね」
メイドが立ち上がって行くのを見送ってから、レックスは小さなメイドに耳打ちした。
「医者とアイラの話、なにはなしてるか、こっそり聞いてこられるか?

 「あんまり近くにいけなくて、少ししか聞こえなかったのですけど」
と小さなメイドは申し訳なさそうに言う。
「アイラ様はもう起きて大丈夫らしいですよ」
「そうか。きっとあいつ、剣が握りたくてうずうずしてるだろうな」
とレックスが納得したのは、彼女が、産褥にあっても例の剣の手入れを欠かさなかったのを見ているからである。
 ややあって、診察道具の箱を傍らに、
「御用でしょうか旦那様」
と、恭しく手をついた医者に
「たいしたことはないんだ、部屋の外で話そう」
と言った。

 部屋を出てから、レックスは
「話というのはほかでもなく、まあ、なんだ」
「姫様のご様子ならば、もう剣の修行をされてもかまわないと申し上げました。そのことでつい、父王陛下との話になり、思いのほかの長居となりまして」
「何だ、そこまで元気なんだ」
「はい。お産にかかわる処置はすべておわりました…ご存知ありませんでしたか」
「いや、聞かなかった。
 だから聞くんだが」
「はい」
レックスは、左右をきょろ、と見回して、
「あっちのほうはどうだ」
「どちらの方ですか」
「…夜の方だ」
「ああ、はい、夜の方でございますね」
「声がでかい」
「すみません。ですが、そのことでしたら、姫様は一月も前に私に同じことをお尋ねになられて、私はお迎えしても差し支えないと申し上げましたが」
「え?」
レックスは裏返った声を上げた。
「旦那様には、姫様から申し上げると仰るので、御意のままに、ということにいたしましたが」
「俺そんなこと全然聞いてないぞ」
医者は「それはそれは」と、びっくりしたのか同情したのか、こんな声を出し、
「姫様を責めてはなりませぬよ旦那様、母となると『気が進まぬ』場合も、往々にしてありますからな」
「それにしても」
「仰りにくかったのでございましょう。そこはお二人のことですので、医者としてはなんとも…」
「そうか…
 ついでに聞いとくわ、さすがに、子供生んだ直後の女との経験はないんでね、注意することがあれば教えてくれるか」
「はいはい」
医者は気軽に返事をし、
「無理無茶はお勧めいたしません」
「まあそうだな」
「姫様が途中で『気が進まぬ』ご様子でしたら、お辛いでしょうが、そこでおやめください」
「それもまあ、仕方ないな」
「『第二の処女』とも申します、壊れ物とお思いになって、お優しくしてくださいませ」
医者はレックスの礼に深々と礼をし返し、廊下をするすると歩いていった。

 「第二の処女」もなにも、彼女との関係は通算三回目、だ。二度目は余り思い出せないが、最初の時は、自分にしては比較的よく覚えているものだと感心する。
 自分の腰丈にもなろうかという剣を振り回して敵を薙ぎ倒しながら、周りの歩兵や騎兵に容赦なく檄をとばす女剣士が、自分の下で、声を殺して泣いているのだ。諾々と組み敷かれ、脚を開かされて、ついで襲ってきた破瓜の痛みに泣いたのだ。
「やめるか?」
さすがに不憫になって、一度そう尋ねた。しかしアイラはかぶりをふって
「だめだ…お前が終わっていない」
そう言った。
「お前のものだ、好きにしろ、多少手ひどかろうが」
「しゃべるな」
レックスは、アイラの額の辺りを撫でた。
「それより、力抜け。動かせないほど体固くしてたら、終わるものも終わらない」
経験ナシを相手にしたことがないでもなかった。ただ、こいつだけは、今までの遊びと違う。そう決心した途端、ずん、と脊髄が痛んだ。
 果てる。そう自覚して、腰を使う。剣を使うために、短めに整えられたアイラの爪が、ぎっ、と背中に食い込んだ。痛い。しかし、こいつの痛みはきっとこんなもんじゃない。
「勘違い、すんなよ」
少しでも、その時間を延ばそうと、レックスは話しかける。
「遊びじゃない。俺は本気だ。お前がこの時間を、くれた責任は、絶対、とる」
俺も後悔しない。そこで、彼の記憶は真っ白になっている。

 しかし、そう言う真面目な内側も、アイラの前だと、つい出すのがためらわれる。
 寝台から抜け出て、メイドたちとなにやら話していたアイラのとなりにつと座ると、メイド達は百も承知と気配ごといなくなる。
「何だ?」
と尋ねるアイラの鼻先を、つん、とつつく。
「…お前、一月も黙ってやがって」
というのに、アイラは少し眉を寄せて、
「何のことだ」
と言い返す。レックスに耳打ちされてから、アイラはその耳を真っ赤にして
「わざわざ医者に聞いたのか、恥知らず」
と言う。
「聞いたらいけないわけ? 冬の間ずっと生殺しさせて、まだ生殺しさせようっての、お前こそひどい奴だ」
「…」
アイラは耳を染めたままついとそっぽを向き、
「…いえなかっただけだ」
「どうして?」
「私から言うということは、その、つまり…」
最後は消え入るような声のアイラを混ぜ返すでもなく、
「欲しがってるように感じるから自分が許せない、と」
「…」
「遠慮する必要ないじゃん、反対する奴がいるわけじゃなし」
レックスは、ははは、と笑いながら、アイラの肩に手を回した。
「しかし、朝早く部屋を出るのを嫌がるだろう、お前。夏の朝は早いぞ」
「そんなの、解決する方法はいっくらでもある」
それからふふ、と自分の肩を揺らす。
「お前がそう言う笑い方をしたときは、ろくなことはない」
そう言ったアイラをレックスは聞きとがめることもせず、
「心の準備する時間はちゃんと用意してやるよ。でも、そっから先は、俺もう我慢しないよ」
と言い、さらに、彼女の耳にその「方法」を耳打ちした。

 二、三日後とする。月が替わり、アイラの部屋の中は、夏向きの調度品に変えられていた。
 アイラの寝台を、他人の目から守る衝立も、重厚な木のものから、夏めいた薄い布張りのものに変わっていた。その中に入れるのは、本人と、メイドの中でも特に彼女の指定した者、そして、レックスだけだ。
「やはり、お前の考えることにはろくなことがない」
夏仕立ての普段着のまま、寝台に腰掛けて、アイラは真っ赤な顔のままそう言った。
「い、いくら朝には部屋を別にするのがいやだからと言って、ひ、ひ、昼になんて」
「じゃあ、なんでお前はここにいるの? それに、昼じゃなくて、夕方」
「同じだ」
メイドはもう、気配もない。同じ寝台の上で胡坐をかくレックスは
「恥ずかしがりもここまでくると」
後ろから、アイラの服の袖を引いた。ころん、と、背中から転がる、その顔と目を合わせる。
「あ」
「天然記念物だね」
「明るいうちからそんなこと、身持ちの悪い女がすることだ」
「聞こえない」
レックスは、転がった拍子に外れかけたアイラの髪飾りをとって、寝台脇の小机に置いた。
「おろしたてのその服、くしゃくしゃにされたくなかったら、着替えてくるだけの時間は待つ。
 それでもゴネるんなら、窓に押し付けてでもやっちゃうよ」
窓に押し付けて…アイラの顔は赤を通り越して青くなった。

 ややあって。
 薄物に柔らかい帯一本という姿で、アイラが衝立の向こうから戻ってくる。ゆらゆらと、結った髪をといた跡が、薄く差し込む日差しに波のように揺れている。
「これで文句ないだろう」
ごろん、と、横になっているレックスのとなりに、にじるように乗ってくると、レックスは起き上がってそれを見る。
「サイコーだね」
唇の端で笑った。薄物は、アイラの肌を透かして、帯の真上にある、二つふっくらしたふくらみは、双子に乳を与えることをこそしないが、その双子の母である証に、その先をさらに色濃く透かして見せる。思わず彼は、その色濃い部分に、つい、と指をあてていた。
「!」
「お前、ホントに母親になったんだな」
くり、と力をいれると、条件反射のように硬くなり、薄物の生地をはねかえすようにふくらむ。
「心当たりはあるだろう」
目じりを染めてアイラが言った。触れてくる手は両手になっていて、動きも大胆だ。
「…いけない」
アイラがか細く言った。
「どうして」
「…」
いいたくなさそうに、アイラは目を伏せた。柔らかい中に、芯が入っているように感じる。
「あ」
アイラがごく小さく声をあげた。指先に、湿り気を感じて、
「ん?」
とレックスはその指を見た。ぬれているだけで特に変化はない。アイラが少し困ったように
「やっと、忘れていたのに」
と言った。しゅ、と、帯を解いて、あわせをくつろげて見ると、その胸先から白いものが滲んでいる。
「これ…」
「乳母がつくから、私のものは無用なのだ」
アイラは、少し寂しそうに言う。
「そか…辛いな」
レックスは少し、彼女をかわいそうに思った。諸肌を脱ぎ、おもむろに抱き寄せて、その唇を吸う。アイラの手が、突っぱねるように力を持った。
「いけない、汚れる」
「気にしない」
そのまま押し倒す。これまでも何度も隣で眠ってきた。彼女は、最初唇を重ねることすら、気の進まなさそうにしていたが、「やり方を覚える時間だと思いな」と説得され、今はどうすれば彼の好みの唇になるか分かっているように振舞う。
 薄目を開けて、ちらりと見てみる。アイラのまつげは思ったより濃く、長くて、差しだれてくる舌は、薄い。今まで見たことのない、異郷の艶だ。今まで真っ暗の中で、こんな顔を隠していたなんて。レックスは、「損したなぁ」と、内心で笑った。

 黒目がちの目を薄く開いて、アイラはほんのりと頬を染めていた。鎖骨の辺りを食みながら、指をまた胸につける。
「いけない…」
アイラがまた言った。
「さっきみたいにはしないよ」
指先で、じかにふれる。その先が、つん、ととがった。
「!」
アイラが息を呑んだ。舌先でつつくと、ごく薄く、甘い味がしないでもない。ソレよりも、アイラの体はぴく、と、その刺激に反応した。
「ふ、くぅ…」
顔を半分覆うようにして、押し殺しきれない声が漏れる。胸元をついばみながら、絡んでいた帯をしゅしゅ、ととり、ぽい、と投げる。前はほぼ完全に空けられた。剣士の筋肉を隠した、滑らかな脚をするりとなで上げる。なで上げてたどり着いたその場所に、彼女に流星の奇跡をもたらす聖痕があるのを、レックスの指は忘れていなかった。


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