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確かに、文面はそう取れなくもない。龍にゆかり深い「雲」が「紫」にそまるのはめでたいこと、というのだから。 「それだけ私達は買われているということだ。それ以外は気にすることはない、何かの折に本人にお尋ねするもよい」 「はい」 書簡をまたくるくるとしまう維紫に、視線が注がれているのがわかる。しかし、顔や頭や手と言う場所ではなく、 「…やはり残ったか」 と、少しに忌々しそうに言うのは、胸の傷のことだった。 「普通にしていれば、全然見えません。見えるのは…将軍が上からご覧になっているから」 「私には痛手だ。戦ではひとつの傷も受けぬよう育てたのに、あんなふざけた事件で」 「…将軍、少しお酒が過ぎてませんか?」 「かもしれん」 とはいえ、用意された酒は三人でひとカメもあけていないのだから、過ぎたという量ではない。 「疲れているとよく回る。 おかげで方寸のふたが開いたような気分だ」 趙雲はそう呟くように言い、膝の上の維紫を自分の胸に押し付けた。 「不思議だ。鍛えたはずなのに、なぜこう柔らかい」 「…そんなこと、わかりません」 「お前が来てこの方、気がつかされることばかりだ」 維紫のあごに指がかけられ、ごまかしようもなくはっきりと唇が重ねられ、 「今の私は何故だかカンがいい。これは月英殿の計らいにほかならぬ。 朝までいてかまわないのだろうな?」 そういわれる。酔いではない赤みを顔にのぼらせて、維紫は小さく、はっきりうなずいた。 湯を使い、自分の部屋に入ると、牀から張り出すようにして、赤い紙ではられ、赤い糸で房飾りを作られた灯りが、ぼんやり、桃色に光っていた。新野にたどり着く前、まだ自分に家族・一族があった頃、招かれ行った婚儀の家には、こんな明かりが数え切れずともっていたことを思い出した。 しかし、今のこの灯りが、同じものとは維紫は思わなかった。戦場の野営で、隣り合って眠ったことなど何度でもあったのに、今に限って特別とも思えない。 足音が近づいて、 「雷姫」 呼びかけられ振り向くと、趙雲が部屋の入り口に立っていた。 「髪をまとめてくれぬか」 「もう少し奥に」 牀にはいって眠ろうとすると、趙雲はその帳を押さえておろさせず、そう言った。 「…こちらで、お休みですか」 「…もともとそのつもりだったのだろう?」 言われるままにすき間を作ると、彼はそこに入り、やっと帳をおろした。 「つもり?」 それでもまだ維紫には何のことかわからず、牀にちょこりと座ってきょとん、としている。 「…流石にこれは、口だけでは教えきれぬ」 そして、維紫は突然と組み敷かれる。どうもこの夜は、野営での眠りとは、少し勝手が違うようだ。 「新野以前は人並みに遊んだ。もっともそれで、お前を無事導けるとは、私も思っていないが」 衣の中に入って来る手が触れるものは、これが自分かと思うほどふわふわとしていた。 それと一緒に、唇がふさがれて、濃密に舌が絡んでくる。 「ん、はむ…」 唇が離れる隙に息をつくのが精一杯と言う風情がおかしかったのか、 「お前には鼻がないのか」 と笑い声で混ぜ返された。 絹の衣は一度解かれるととひとりでに滑り落ち、薄暗い明かりの中にぼんやりと、維紫の体が浮かぶように見える。 胸の辺りに何かの感触を感じた。あの傷に沿って、唇が当てられているのだ。 胸のふくらみは、あくまでもふわふわとして質感がなく感じた。しかし、その先に自然に熱がこもるように感じるのは気のせいだろうか。 「…触れてほしい」 一瞬よぎったその言葉をよまれたように、指がきゅっ、とその先をゆるくひねった。 「あ」 びりっと維紫が震える。そのまま胸をもてあそばれ、複雑な何かが中で絡み合って、維紫は手だけでその気配を探る。と、その手がにぎられ、肩の辺りに置かれた。手繰るように背中に手を伸ばし、すがりつくと、 「すがるのはまだ早い」 そう言われ、槍を使って硬くなった手のひらが、腰骨を伝い、内腿に降りてくる。 「!」 維紫のからだがまたこわばるのが、 「心配しなくていい」 という声でゆるくなる。 「まかせてくれればいい。手練手管は求めない」 維紫がずっとつかまえて離さない背中に、冷や汗がにじんでいる。しかし、触れ合う部分は熱かった。 指が、さわりと体毛に触れた。維紫には、その感触が伝わってくるだけで、牀の天井だけが見える自分に、何がされているかもわからない。 「んん…」 何かが入ってくる。ひく、と下腹が引きつる。ただ、わかるのは、その入ってくるものを感じる場所は、今まで自分がほとんど意識もしたことのないような場所で、入ってくるものと、微妙に相性が悪い、と言うことだ。 「い、た…」 維紫がやっとそれだけ言うと、引きつるような感覚はすぐなくなった。 「そうか、なら無理はすまい」 しかし、とろけたような音が、まだそこから立ってくる。維紫はぼんやりとしていた目をにわかに見開き、またぎゅうっと閉じた。 「ふあ、あ、あっ」 引きつれたようなところとは少しずれた場所を指が探る。さっきとは比べ物にならない刺激が来る。これは何? しがみつく手に力が入る。 「んっ…く…ふぁ、あああ」 何か、とろけるようで…あの場所が熱くて…段々、けだるくなってくる。しかし、 「違うっ」 維紫はそうおもった。背筋を伝って、全身に何かが来る。何か、何かくる…っ 「んんんっ…」 びくん、と体がはねた。つめていた息をふうう…と吐き出す。しがみついていた背中からも手が離れ、とろとろと牀と同化した維紫の上で、 「気をやった気分はどうだ」 少しうれしそうな声がした。 「き、を…?」 「知らなくていい。そのうち覚える」 嫌いではないだろう? 耳元でそうささやかれ、維紫は 「…はい」 といってしまい、「あ」と口を押さえた。しかし、そう言いきってもいいほど、あの感覚はしっかりと、維紫のどこかに刻まれた。 また、あの引きつれたような場所に、何か入ってくる。しかし、とろけ出たものが滑らかに、それを受け入れた。 「ん…」 維紫はつい、とあごを上げる。「きをやれる」ほどの感覚はない。だが、じんわりと、体が温かくなってくる。探すように差し伸べた手がぐっと握られ、唇がやってくる。 激しい感覚を与えたあの場所を、ゆっくりとこすられる。ぴく、と腰が跳ねかける。 「あっ…っ」 「可愛らしいことをする」 可愛らしい? 維紫がぼんやりと思った。自分が何をしただろう。ただ体を撫で触られているだけなのに。 「何か、しましたか?」 答えの代わりに、息だけの笑いがあり、その後、額に唇が当てられる。そうされながら、首の下に腕をまわされ、膝が手で押し開かれるのを感じた。 「…」 何が始まるのだろう。漠然と不安がよぎる。 「心配するな。体の力を抜いて…」 安心できる声。熱い胸板につつまれるようにして、維紫は見えないところで何かが行われるのを、熱い息と一緒に感じていた。全部を委ねて。 とたん。 「ひっ」 何かの塊が、自分を押し開いてくる。つかんでいた腕に、爪を立ててしまう。 しかし、それでまぎれるものではなかった。裂かれるような痛みが背中を貫いて、 「…っ!」 絹裂く声をあげそうになったが、ぐうっとのどで押さえた。しかしその後も、水からあげられた魚のように、声が出ず、口をぱくぱくとする。痛みから自然に逃れようと体が動くらしいが、首の下の手が、錨のようにその場から動かせない。 「うっ…ぐすっ」 泣き声になってしまう。押し開いたものは、ゆっくりとした動きで、維紫の中を動く。 聞こえる息が荒い。ときおり、ため息のようになる。 もう声を耐えられない。そう維紫が思ったとき、その動きが、とまった。維紫の体の中で、びく、びく、と何かが脈打っている。その後、ふう、と安堵のため息が聞こえた。 「辛い思いをさせてすまなんだ…しかし、私も相当苦しかったぞ」 「すみません…」 「何、お前がわびることではない。私の方寸の中で小さな戦いがあったのだ」 「はぁ…」 しゃにむに貫きたい本能と、それをとどめる理性の戦いなど、維紫にはおそらくわかるまい。 これが房事というものなのだと、冷静になった頭でやっと理解した。それを済ませて、維紫は引き返すことの出来ないオトナになってしまったということも。 新野で女官の部屋を使っていたとき、立ち混じる女官の間では、気を失いそう、とか、飛ぶとか、落ちる、とか、そんな言葉を聞いたが、痛いという言葉は聞かなかった。 「これで、いいのかしら」 衣を探って、着なおす。裾を直そうとして、 「つっ」 件の場所が痛んだ。このままだったらどうしよう。しかし、尋ねるのは気が引ける。 隣にある気配は、もう眠っているようだ。仕方がない、このひとには明日も仕事がある。いつまでこの状態でいられるかもわからない。 「私も寝よう…」 そ、と隣に沿うように横になる。その気配を受けるように、寝返りが帰ってきて、やんわりと維紫を抱きしめる。どこにもゆくなと言うように。 朝の光がまぶた越しに、直接瞳の中に入ってきて、維紫はそのまぶしさに目を覚ました。 「…朝だ」 それにしても早すぎる。日の出なんて久しぶりに見た。 そして、寝台にはひとりだけだった。どこにいかれたのかしら。左右を見めぐらして、 「あ」 怪我でもしたような乾いた血のあとが見えた。道理で痛かったはずだ。現に自分もまだ痛む。しかし、これを見られるのは少し恥ずかしい気がして、掛け布をよせてそれを隠す。 「将軍?」 探しに出ようと部屋を動き始めたとき、窓の外に趙雲の姿を見た。 いつの間に、男物の服が一式そろっていたのだろうか。きっちりと着込み、出てきた日を体の右側に受けて…つまり北に向かって…わずかにうつむき、拱手している。呼びかけようと思ったが、それがためらわれた。その姿があまりに真剣で。 彼が納得したのか、顔を上げた。すぐ維紫の姿が見えたのか、中に入ってくる。維紫はたぱたぱと部屋に小走りに駆け込んで、寝台にちょこりと腰を掛ける。 「何をされていたのですか?」 尋ねると、趙雲は「ん?」と維紫の方を見やり、 「常山に向かい遥拝をしていた」 と言った。常山といえば趙雲の故郷だ。桂陽からしたらはるかに北のほうになる。 「…お祈りでしたか?」 「いや、報告だ」 「報告、ですか」 「雷姫を得たと」 昨晩のことを断片的に思い出して、維紫は赤くなってうつむく。 「私でよいのですか?」 「違う」 「え?」 「お前が良い」 維紫は、ぽかん、と、薄い笑み…でも維紫は、この笑みが最高の喜びの顔であることも知っている…の趙雲を見た。その笑みは、すぐいぶかしそうに曇り、 「どうした、元気がないな」 「そう見えますか? そんなことないで、」 す。立ち上がって、維紫は 「あいたた」 と腹を押さえてうずくまる。さっきの神妙さなどどこに言ったのか、趙雲はあわてきった声で 「横になってるんだ、いいな。 誰かいなかったか…そうだ、月英殿!」 こんなときに月英様を呼ばれるのですか… 維紫は寝台に横になり、痛んだ場所をいたわりながら、なんだかその痛みが嬉しかった。 |